平成30年5月26日~28日と福島県相馬市で、第18回全日本Oー60サッカー大会が、
開催されました。広島60’Sは中国地区代表として出場しました。
予選グループで、2勝1敗で2位になり、決勝トーナメントには進めませんでしたが、
この年になっても熱い戦いができたことに喜びを感じました。
TEL082-271-3426
〒733-0821 広島市西区庚午北3-21-2
平成31年1月3日から西郷(せごどん)の旅に行きました。
初めは西南戦争最大の激戦地、田原坂です。大砲を載せた荷車で熊本に入るには
この道しかなかったために、ここで死闘が繰り広げられました。どちらを味方するわけでもなく
こうして時代が移り変わったのだと思いました。この後、菊池温泉に入り、熊本市内に向かっていたら、
熊本北部で、震度6弱の地震が起きました。まさに危機一髪でした。
熊本で一泊し、4日にはオープニングで出てくる雄川の滝を探して大隅半島を南下しました。
駐車場から約20分かけて歩きましたが、その甲斐あって素晴らしい滝でした。
ここまで来たら本土南端の佐多岬まで行きたくなりました。ここも駐車場から15分くらい歩きましたが、
はるか先に種子島、硫黄島が見えました。南洋特有の植物も興味がありました。
その日は鹿児島に泊り、黒豚のしゃぶしゃぶを食べに行きましたが、その店は
せごどんの俳優たちが、寄ったのでしょう、サインがたくさんありました。
5日は天気があまり良くありませんでしたが、桜島の噴火と荒々しい岩肌が見える
湯之平展望所に行きました。桜島で一番火口に近いだけあって迫力満点でした。
そして今回の最大の贅沢?別府杉乃井ホテルに向かいました。
知り合いにお願いして部屋を取ってもらいましたが、
ここからの眺めとお風呂、食事。ここは楽しめます。そしてゆっくり時間を使うべきです。
私たちもリピーターですが、一度行けば、何度も行きたくなるはずです。
広島から鹿児島まで、4日間で1500キロ走りましたが、それに見合う色々な観光ができました。
今年は初詣に大宰府天満宮、祐徳稲荷、宮地獄、宗像大社に、行きました。
まずは3日に博多で泊り、中州周辺を歩き回り、水炊きを食べました。
4日は朝から大忙しでした。御朱印帳が、いっぱいになったために太宰府天満宮で、
購入しました。梅が枝餅を食べ、富くじを引き(嫁がブルーレイレコーダーを当てる)
受験生はいませんが、祈願しました。
次の祐徳稲荷まで、高速を走りましたが、入り口付近で渋滞し、昼過ぎの到着になりました。
日本3大稲荷の一つですが、立派な造りでした。頑張って、奥の院まで行き、商売繁盛を祈りました。
嬉野温泉に浸かりましたがすべすべになるお湯でした。再び高速で、福津市の宮地獄に行きました。
嵐のコマーシャルで、有名になったところですが、それがなくても、とてもいい神社でした。
年2回、参道に夕日が沈み、夕日の道が出来ます。是非ともこの時期に行きたいものです。
お社も、しめ縄が立派で、出雲大社に匹敵するものでした。ここは今まで行った神社の中でも、
私はお気に入りの一つになりました。
当日の参道と、これが見たかった参道を載せます。
今回の百名城は近畿を中心に回りました。
5月1日、まずは大阪城ですが、その前に薬の神様(神農さん)を祭る少彦名神社に
お参りしました。
大阪城は真田幸村ブームで、長野、群馬から観光案内の方たちが宣伝のため来ていました。
大阪城はエレベーターで上がることが出来、「秀吉の時代に作ったんか?」
などのバカなことを言いながら、天守閣の上から、大阪の街を展望しました。
次に向かったのは楠正成で有名な千早城ですが、金剛山の登山口になっている場所です。
城郭はありませんが、趣のある神社がありました。
5月2日は滋賀県を中心に回りました。途中、日本3大梵鐘の三井寺に寄り、安土城に行きました。
安土城跡では麓から天守台跡まで約30分かけて登り、信長が眺めていただろうと、思われる琵琶湖の景色を眺めました。
大急ぎで、観音寺城跡に行き、その後、彦根城まで行きました。さすがに国宝の彦根城は何時見ても美しいです。
3日はやはり国宝の犬山城から、帰り道に小谷城を見て、近江ちゃんぽんを食べて、広島に帰りました。
今回で、約30のお城のスタンプを押すことが出来ましたが、私自身はスタンプを
押していないお城を含めると、既に50近くは巡っていますが、何度来ても良いものです。
最近、100名城に凝っています。今回は四国へ行きました。
広島からしまなみ海道を通って、まずは宇和島まで行きました。
宇和島城は藤堂高虎が創建しましたが、のちに伊達藩が入部しました。
この城山には450種類もの植物が生い茂り、苔むした石垣が何とも言えない
趣がありました。
大州城は天然の肱川を堀としたお城でした。城主は何回か変わりましたが、
廃城にならず明治まで続きました。
松山城は賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明が築城しましたが、
その後、松平家の居城になりました。「坂の上の雲」で正岡子規や秋山真之が
遊んでいた場所がここでした。
今治城は藤堂高虎が、築城しましたが、日本3大水城だけあって、
堀には海水が流れており、海の魚が泳いでいました。
丸亀城は何と言っても日本一と言われている石垣の高さです。
確かに迫力がありました。天守閣は3層のあまり大きなものではありませんが、
遠くから望む石垣は本当に迫力がありました。よくこれだけのものを積んだ
と、感心させられました。
最後に高松城ですが、この城も日本3大水城の一つです。今治城の魚にも
驚きましたが、この堀には大きな鯛と、チヌが泳いでいて、しかもえさを
やる場所までありました。願いを唱えながらえさをやるのですが、それを
「鯛願城就」と、いうそうです。
朝ドラで有名になった、伊藤伝右衛門の屋敷跡に行きました。
テレビの影響でしょうかすごい人でした。白蓮さんを迎えるために、
2階を改築し、水洗トイレまで備える立派な館でした。
庭も芝生の緑がきれいで、当時としては珍しい贅沢なものでした。
地元の人にいろいろ聞いてみると、麻生さんの家はもっとすごいというので、
実際にいきましたが、確かに広大な敷地でした。ところが門も開いているし、
中も見えるし、さすが大物は違うなという感じでした。
せっかくなので飯塚の炭坑跡を探したら、当時を偲ばせるところがありました。
この奥は壁もなく、ただ坑道だったそうです。まさに命がけです。
周りには石炭の屑がたくさんあり、まだ燃やせそうなものもありました。
ここで炭坑のバッタを見つけたのですが、黒いのです。
帰りには約50年前に小学校の修学旅行で行った若戸大橋に寄りました。
当時と同じように歩きたかったのですが、現在は歩行禁止でした。
理由は飛び込む者がいるからだそうです。
今回の京都旅行は建仁寺、安井金比羅神社、豊国神社、方広寺、下賀茂神社に行きました。
主な目的は下賀茂神社の、蹴鞠を観ることでした。
残念ながら、人が多すぎて近くでは観ることができませんでしたが、それなりの
雰囲気は味わえました。
建仁寺は栄西禅師が建てた禅寺ですが、同時にお茶を中国から持ち帰ったことを
知りました。風神雷神図屏風、庭園、法堂(はっとう)の天井に建創800年を記念して
小泉淳作画伯が描かれた「双龍図」を特に鑑賞しました。
安井金比羅神社は悪い縁を絶ち、良い縁が結ばれることを祈願する神社ですが、有吉の
テレビ放送があったばかりなので、ものすごい人だかりでした。悪い縁と良い縁を書いた
札を張り、穴をくぐって戻ってくるのですが、結構シリアルなことが書いてありました。
豊国神社、方広寺は豊臣秀吉ゆかりの場所ですが、大坂冬の陣、夏の陣のきっかけとなった
鐘が現存してあり、その部分が白く囲ってありました。当時は広大な敷地だったのですが、
今ではほとんどが、無くなりました。ただ、その一部に国立博物館があることにはなぜか、
安堵しました。
下賀茂神社は由緒ある立派な神社でした。糺の森(ただすのもり)の自然は何とも言えず、
静かで、おごそかでした。蹴鞠を観るために約90分並んで、立っていましたが、次々に
人が、前に前に入ってきて、ほとんど観れませんでした。
四国山脈の伊予富士に登りました。ユーホーラインから 手軽に1時間程度で登れるということで選びました。
登山口から左の小さな沢を渡りますが、いきなり右の笹やぶに迷い込み大慌て。
何とか登山道に戻りました。登山道は整備された分かりやすい道なのに、なぜ間違ったんだろうと思いながら
登っていると、だんだんとユーホーラインが、下に見えて尾根に出ました。
ここからは気持ちの良い尾根歩きでした。遠くに石鎚山も見えて、
気が付けば伊予富士に到着です。ゆっくり登って、約1時間の登山です。
帰りは来た道を引き返し、車で瓶が森の駐車場まで行きました。石鎚山を正面に見ながら、昼食を食べ、途中で「アケボノツツジ」を見て、高知市に行きました。快晴の素晴らしい山登りでした。
平成25年8月16日乗鞍岳に登りました。前日、飛騨高山に宿泊し、朝早く、朴ノ木平スキー場に行きました。
ここから乗鞍スカイラインを通って、山頂近くまで行くバスが出ていました。朴ノ木平の気温は30度でしたが、
頂上のバス停は8度でした。
頂上のバス停から約1時間半で、乗鞍岳の本当の山頂です。
雪渓ではスキーをしている人もいました。
下山途中の山小屋のビールは最高でした。
乗鞍もう一つ楽しみは高山植物です。花の終わったチングルマ、白い清楚なイワツメグサとチシマギキョウ、ハクサンイチゲ、コバイケイソウ、そして何といってもコマクサです。
そして最後に驚いたことは帰りのバスに乗るときに、突然ズボンを脱ぎ、半パンになり、山を約20キロ走って帰った人がいたことです。
40歳半ばでしょうか?むかし箱根駅伝の選手だったんでしょうか?復路、箱根の山下り状態でした。バスが彼を追い越した時には大拍手でした。